「2018年3月」の記事一覧(2 / 3ページ目)

榊原康政の子孫の功績は?本多忠勝や井伊直政の子孫と比較すると…?

戦国時代・近世の話
榊原康政の子孫

徳川家康の天下統一を助けたのが徳川四天王といえば、言うまでもなく酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人ですよね。 このうち、本多忠勝の子孫(本多忠政や本多忠刻)や井伊直政の子孫(幕末の井伊直弼など)は比較的有名ですが、榊原康政の子孫についてはあんまり知らない…という方も多いのではないでしょうか。 ここでは榊原康政の子孫の功績について調べてみましたので参考にしてみてくださいね。

本多忠勝の身長は徳川四天王の中で何位?戦国時代の人物の逸話

戦国時代・近世の話
本多忠勝の身長

徳川四天王の本多忠勝は身長2mを超える大男だったという話があります。 戦国時代有数の豪傑である本多忠勝ですから、驚くような大男だったとしても不思議はないのですが、なんだかちょっとうそくさい感じもありますよね。 今回は本多忠勝の身長や、徳川四天王の実際の身長について調べてみました。

松平信康の子孫のその後は?家康と信長の血を引く娘や子孫の運命

戦国時代・近世の話
松平信康の子孫

徳川家康が織田信長に指示されて、自らの長男である松平信康を切腹させたのはとても有名なエピソードですよね。 しかし、その後に松平信康の子孫(2人の娘)は生きのび、数々の大名家の祖となっていることをご存知でしょうか? この2人の娘は家康と信長の血をひいていることになりますが、その子孫には大名がたくさん生まれているのです。

徳川家光が弟の徳川忠長を切腹させた理由は?家康や春日局との関係

戦国時代・近世の話
徳川家光と弟の徳川忠長

徳川家光といえば「生まれながらの将軍」として強権的に諸大名を統率した将軍というイメージがありますよね。 一方で、少年時代の彼は健康に恵まれず、肉親との関係を築くのに苦労した人でもありました。 特に実の弟徳川忠長とは深い確執があり、最終的には切腹させるところまでいっているのです。 今回は、徳川家光と徳川忠長の関係をうかがわせるエピソードを紹介します。

榎本武揚と土方歳三の関係は?なぜ函館戦争まで一緒に戦ったのか?

近現代の話
榎本武揚と土方歳三の関係

新撰組の「鬼の副長」として有名な土方歳三は、京都での戦いに敗れた後、北海道にうつって戦いを続けます(函館戦争と呼びます) 彼はあくまでも「ナンバー2」の立ち場にこだわった人で、ここでは榎本武揚という人物を補佐する形で戦いを続けます。 今回はこの榎本武揚と土方歳三の関係がわかるエピソードを紹介させていただきます。

井伊直政はイケメンエリート?徳川家康もゾッコンの衆道の仲だった?

戦国時代・近世の話
井伊直政はイケメンか

いわゆる「徳川四天王」の中でも最年少で、どんどんスピード出世していった井伊直政。 彼の属する井伊家はもともとは「外様」という扱いでしたが、徳川家康から特に目をかけられた(衆道:つまり同性愛の関係)ことで一気に出世したという説があります。 このようなエピソードから見た目にもイケメンだったことが予想されますが、側近に取り立てられた後も数々の功績をあげ、徳川家内部でのエリートとして活躍することになります。

孝明天皇暗殺説の真相は?暗殺者は伊藤博文?それとも岩倉具視?

近現代の話
孝明天皇暗殺説

天皇は、今日でも日本国の象徴として特別な地位を占める存在ですね。 しかし歴史上は、権力闘争の中で非業の死を遂げた天皇も少なくありません。 ここでは暗殺が疑われる幕末の天皇、孝明天皇を取り上げます。 果たして孝明天皇は本当に暗殺されたのでしょうか?  そしてもし暗殺されたのなら、犯人は誰だったのでしょう?

大正デモクラシーをわかりやすく!普通選挙運動や護憲運動と関係は?

近現代の話
大正デモクラシーをわかりやすくいうと?

太平洋戦争前の日本には自由のない暗いイメージがある…という方もひょっとしたら多いかもしれません。 しかし、大正時代から昭和の初期にかけて「大正デモクラシー」と呼ばれる、かなり自由で明るさのある時代があったことをご存知でしょうか。 今回は、大正デモクラシーとはどういう時代だったのかについて具体的に見ていきましょう。

井伊直政の死因は破傷風?鉛中毒?銃創が死亡原因となった赤鬼の最期

戦国時代・近世の話
井伊直政の死因

徳川四天王の一人として有名な武将、井伊直政。 昨年放送された「おんな城主直虎」での菅田将暉さんの熱演が記憶に新しいですね。 華々しい出世街道を駆け上がっていった直政は、関ヶ原の戦いで受けた銃撃が原因となり死亡しました。 彼の死因(亡くなった原因)についてはいくつか説があります。 謎に包まれた井伊直政の死因について見ていきましょう!

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