地租改正ってわかりやすくいうと何なの?

これまでお米で納めていた年貢を、お金で納めるようにルールを変えたこと

 

「地租改正」については中学校や高校で必ず勉強しますよね。

でも、「年号は覚えているけど、具体的な内容はさっぱり…」という方もひょっとしたら多いのではないでしょうか。

今回は、明治新政府にとって決定的に重要な政策であった地租改正について、当時の時代状況も含めて簡単にわかりやすく解説させていただきます。


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地租改正ってわかりやすく言うと何?

地租改正をわかりやすく
(地租改正をわかりやすく説明すると?)

地租改正をわかりやすく言うと、今まで「お米」で納めていた年貢を、これからは「お金」で納めるようにルールを変えたことです。

なぜお米じゃダメなのかというと、お米というのはその年にどれだけとれたかによって値段がいちじるしく変化するからです。

国はできる限り安定的に税金を集めたいですから、毎年値段が変わってしまうお米よりも、ストレートにお金を納めてもらうほうが都合が良いというわけです。


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地租改正の目的とは

地租改正の目的は2つありました。

1つ目は明治政府の安定財源を確保すること。

もう1つは全国統一の税制度を作ることです。

 

地租改正の2つの目的

  • ①安定財源の確保
  • ②全国統一の税制度を作ること

 

ちょっと言葉が難しいですよね。

それぞれの目的についてくわしく見ていきましょう。

①安定財源の確保

国は税金を集めて、いろんなことにお金を使います。

例えば、兵隊や公務員にお給料を払わなくてはなりません。

お給料は毎月~円、というように決まった金額を払わなくてはなりませんから、毎年一定額が必ず出ていくことになります。

お米の値段は毎年変動する

上のように「支出」は一定額ですが、もし、お米で税金を集めていると、毎年入ってくるお金がぐらぐらと落ち着かないことになります。

米価はその年のお米の生産量によって変動するからです。

たくさんのお米がとれた年にはお米はあまりますから値段は下がり、あんまりとれなかった年にはお米は貴重になって値段が上がります。

現代でも、野菜や魚の値段がその年によって高くなったり、安くなったりということがありますよね。

出ていくお金は一定なのに、入ってくるお金は不安定…では財政のコントロールが極めて難しくなってしまいます。

明治政府はこの問題を解決するために、地租改正によって「今後はお米ではなく、お金で税金を納めなさい」という指示を出したわけです。


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②全国統一の税制度を作ること

地租改正のもう1つの目的は、全国から一律で税金を徴収することです。

今ではこれはとても当たり前のことですよね(例えば消費税はどこにいっても同じ割合です)

しかし、江戸時代には徳川幕府は天下を治めたといっても、「たくさんある大名家の中の、一番大きな大名」にすぎませんでした。

他の大名の領地から税金を取ることはできなかったのです。

幕府の領地(天領地)の年貢は幕府の財政に、藩の領地の年貢は藩に、というように別々に徴収され、しかも、その年貢の比率は藩によってさまざまでした。

これを放置していると、お金をたくさん持っている藩というものが出てきます。

結果として徳川幕府は、薩摩藩や長州藩といった強い藩の反乱をまねき、倒れてしまいました。

明治政府はこれを防ぐために、税金を取る権利を完全ににぎったのです。


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地租を払う人=その土地の所有者

地租改正には「土地の所有権者が誰なのか?」を確定するという意味もありました。

明治政府は、土地の所有権者には「地券」という権利証を発行します(地券にはその土地の値段も記載されています)

この権利証がなければ、その土地はその人の所有物として認められないわけですから、民衆はなんとかして地券を手に入れようとします。

土地の所有者=税金を払う人

その一方で、その権利証(地券)を所有している人には、その地券によって所有権が保障された土地の値段に基づいて、一定額の税金を納めなくてはならないという義務を課したのです。

今でいうと固定資産税のような形ですね。

例えば、1億円の価値のある土地からは、その1%の100万円の税金を毎年納めなさい、とするわけです。

なお、実際の税率(地租)は地価に対して3%であり、これは江戸時代の年貢負担とほとんど同じです。


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民衆の立場で地租改正を見ると…

民衆の側からしたら、税金を取られる相手が江戸幕府から明治政府に変わったというだけだったのです。

しかも、お米をお金に換えてから納税をしなくてはならなくなりましたから、その価格変動のリスクは民衆が負担することになります。

民衆にとっては、地租改正は決してありがたいものではなかったのです。

地租改正反対一揆

地租改正は、明治政府にとってはとても都合の良いものでした。

全国一律に税金を納めさせることができますし、お金で税が集まってきますから、毎年安定した金額を集めることができます。

しかし、上でも見たように民衆にとっては米価の変動リスクを負わせられるという負担が新たに加わることになります。

民衆は隠していた田も国に届け出ざるを得なくなる

しかも、明治政府は「地券を持っている人しか土地の所有者として認めない」という形をとっています。

これまでは農民は、隠し持っていた田畑というものがたくさんあり、そこからとれる収穫物についてはすべて自分のものにすることができました。

しかし、このまま隠し持っていては所有権は保証してもらえませんから、その隠していた土地についても国に届け出なくてはならなくなったのです(もし届け出なければ国に没収されてしまいます)

今まで江戸時代にお目こぼししてもらっていたユルユルな部分まで、新政府はきっちりと税金を求めたわけですね。

こうして不満がたまっていった民衆は、地租改正に反対する一揆(地租改正反対一揆)をおこすようになります。


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地租改正反対一揆の例

山形県で起きたワッパ一揆がこのようなことで反発を招いた一揆の代表例です。

土地の持ち主が特定できないため、その土地を官有地にしてしまったことによる一揆です。

地租改正は、税率とは関係ない部分で、農民に不満を生じさせ一揆を起こしていたのです。

そして、江戸時代の年貢が領主によって全然違っていたことも原因であるとする説も最近唱える人がいます。

実際に地租改革反対一揆は全国各地で起きたというより特定の場所で起きている傾向はあります。

ただ、この地租改正一揆を抑えこむため明治政府は税率を2.5%に下げる措置をとっています。

まとめ

地租改正は、江戸時代のバラバラだった税制を統一し、日本を中央集権的な近代国家とするための財源を確保するためのものでした。

明治政府は、地租改正によって手に入れた安定財源を使い、産業を育成して軍隊を強化していきます。

地租改正は明治新政府にとっては強い国を作るために避けては通れない重要な政策だったのです。


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