日本にも「傾国の美女」はいたの?

特に有名な5人の女性を紹介します。

 

国を傾けるほど美しく、権力を持った男性をとりこにした女性のことを「傾国の美女」と呼ぶことがあります。

世界ではクレオパトラや妲己(殷の紂王の妃)などが有名ですが、日本には傾国の美女と呼ばれるような女性はいたのでしょうか?

ここでは歴史上有名な5人の女性を紹介します。


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傾国の美女:日本の歴史限定で5選!

傾向の美女日本
(日本版傾国の美女:とくに有名な5人の女性)

日本の歴史では次の5人の女性が「傾国の美女」として有名です。

 

  • 額田王(ぬかたのおおきみ) : 飛鳥時代の歌人女性
  • 常盤御前(ときわごぜん)  : 平清盛をとりこにした女性
  • お市の方(おいちのかた)  : 織田信長の妹で戦国一の美女
  • 待賢門院(たいけんもんいん): 不倫で保元の乱の原因となった女性
  • 藤原薬子(ふじわらのくすこ): 奈良~平安時代「薬子の変」を起こした女性

 

彼女たちが翻弄した男たちとの具体的なエピソードを紹介させていただきます。


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日本版傾国の美女①:額田王

額田王(ぬかたのおおきみ)は、飛鳥時代の有名な女性歌人です。

天武天皇の妃となりながらも、後に天智天皇の妃となっています。

※天武天皇(弟)と天智天皇(兄)は実の兄弟。

額田王をめぐる兄弟の確執は深く、後の政治的対立に影響を及ぼしたと言われています。

天智天皇は天武天皇によって暗殺されたという説があります。

さらに、天武は天智の子(大友皇子)を壬申の乱によって滅ぼしてしまいます。

こうした天武の行動には、愛する女性(額田王)をとられたくやしさもひょっとしたら含まれていたのかもしれません。

そこまで深く当人たちはこだわっていなかった可能性もありますが、天智の家系を滅ぼした天武には額田王をとられた嫉妬心があったのかも…。

天智天皇の妻でありながら天武天皇との気持ちをうたった歌

天武との仲良し振りを歌った「茜さす…」の歌は有名ですね。

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」

(意味:あかね色の紫野をあちこちに行ったりきたりしながら手を振るあなた。野守にみつかってしまいますよ)

この歌を詠んだときには額田王は天武とは別れて天智の愛人となっていたといわれています。

時の権力者2人を手玉に取るしたたかな女性像が浮かび上がってきますね…。


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日本版傾国の美女②:常盤御前

常盤御前の画像
(常盤御前:wikipediaより)

常盤御前(ときわごぜん)は源義経の母であり、平清盛に寵愛された絶世の美女と伝えられています。

平清盛は源氏を滅ぼした直後、源氏の当主(源義朝)の妻であった常盤御前を自分の妾にします。

常盤御前には今若・乙若・牛若(後の源義経)の3人の子供がいました。

当然、後に平家に対して復讐してくる可能性があるこの3人の子供は殺されるはずでした。

常盤御前がいなければ源氏の勝利はなかった?

しかし、平清盛は常盤御前の嘆願によってこの3人を許してしまうのです。

助かった3人の子供はそれぞれお寺に預けられます。

後に源義経となった牛若(常盤御前の3人目の子)は平清盛死後に起こった源平の争いで大活躍することになるのです。

源義経の活躍が無かったら源氏の勝利はなかったでしょうから、もし平清盛が常盤御前の助命嘆願を聞かず、牛若(源義経)を殺していたら…後の世の中は変わっていたかもしれません。


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日本版傾国の美女③:待賢門院

待賢門院の画像
(待賢門院:wikipediaより)

待賢門院(たいけんもんいん)は、もとは藤原彰子という名前で藤原氏の権力拡大のために天皇家に送り込まれた女性でした。

彼女は鳥羽天皇の妻になります。

しかし、実は鳥羽天皇の祖父である白河法皇(当時の実質的な権力者)と不倫関係にあったとされているのです。

夫である鳥羽天皇からみて、白河法皇は実の祖父です。

鳥羽天皇はこの事実を知っていたといわれ、妻の不倫相手である白河法皇を非常にうらんでいたといわれます。

保元の乱の原因となった待賢門院と白河法皇の不倫

鳥羽天皇と待賢門院の間には子供(後の崇徳天皇)が生まれますが、この子は白河法皇の子であるというのが定説です。

一方で、鳥羽天皇には後白河という子も後に生まれます(この子は鳥羽と待賢門院の子)

このような複雑な状況で育った崇徳は異母弟である後白河に複雑な感情を抱き続けます。

そのねじれた感情は後に保元の乱(崇徳と後白河の戦争)へと発展していくことになるのです。

結局崇徳は敗れ、四国の讃岐に流されます:彼は生涯、後白河が支配する朝廷を恨み続けたといわれています。

平安時代当時は夫が次々と変わることは普通のことでしたが、天皇家という権力内部での、あまりにも近親者どうしの間での婚姻関係は復讐の怨念を生みました。


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日本版傾国の美女④:お市の方

お市の方の画像
(お市の方:wikipediaより))

お市の方(おいちのかた)は信長の妹で、「戦国一の美女」と呼ばれた女性です。

淀殿の母(豊臣秀吉の側室)の母親としても有名ですね。

淀殿も絶世の美人といわれていますが、お市の方の血を継いだことがその美しさのもとだったのでしょう。

数々の戦国大名の妻となったお市の方

はじめお市の方は信長の指示で浅井長政に嫁ぎますが、後に浅井長政は織田信長を裏切り、織田信長に滅ぼされてしまいます。

いったん実家に戻ったお市の方ですが、すぐに信長の第一の家臣である柴田勝家と結婚します。

さらにその後、本能寺の変で織田信長が死に、夫の柴田勝家はライバルであった豊臣秀吉によって滅ぼされます。

秀吉はお市の方を愛していたといわれ、柴田勝家を滅ぼしたのにはひょっとしたら嫉妬心も原因していたのかもしれませんね。

その後、秀吉はお市の方の娘、淀殿を妻にすることになります(これもお市の方への執着を感じさせます)


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日本版傾国の美女⑤:藤原薬子

日本の場合、「傾国の美女」と呼ばれる女性といえども、「自分で権力をにぎる」ということはほとんどしていません。

あくまでも権力者である男(夫)を操るという形で歴史の舞台に登場しているケースがほとんどです。

しかし唯一、ここで紹介する藤原薬子だけは、みずから権力を握ることを求めて権勢をふるった女性です。

薬子の変とは?

平安初期、彼女の娘がまだ皇太子であった平城天皇に嫁ぐことになり、御付として着いていった先で、なんと娘ではなく天皇は薬子を見染めてしまいます。

平城天皇のもとで優雅に暮らす薬子ですが、平城の父である桓武天皇の激怒で追放されます。

しかし桓武天皇が亡くなると、薬子は呼び戻され再び権力の座に。

やがて弟の嵯峨天皇との対立が激化し、なんと最後は挙兵までして、名だたる「薬子の変」まで起こしてしまうのです。

まとめ

その美しさゆえに歴史の表舞台に登場した傾国の美女たち。

今回は日本の歴史に影響を与えた5人の女性について紹介させていただきました。

男性社会のイメージがある日本の歴史ですが、名を残している女性もたくさんいるので調べてみると面白いですよ!


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