西郷隆盛の妻の名前は?

須賀・愛加那・糸子の3人。
その他にも篤姫とも恋愛関係にあったというウワサあり。

 

西郷隆盛は生涯で3人の妻をめとっています。

いずれも側室などではなく、正式に婚姻関係にあった正妻です(2人目の愛加那は「島妻」というかなり独特な婚姻関係になりますが)

 

須賀 (大河ドラマ=橋本愛
愛加那(大河ドラマ=二階堂ふみ
糸子 (大河ドラマ=黒木華

 

他にも篤姫(天璋院)が幼少期に西郷隆盛に恋心を抱いていた…という描写もありますね。

今回は、西郷隆盛の3人の妻の生涯、そして篤姫との関係にについて、大河ドラマでは触れられない部分も含めて紹介したいと思います。


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西郷隆盛の妻は3人!須賀・愛加那・糸子

西郷隆盛,妻
(西郷隆盛と3人の妻の結婚生活とは?)

西郷隆盛が結婚した3人の女性は、須賀(すが)愛加那(あいかな)糸子(いと)という名前です。

それぞれの結婚生活はどのようなものだったのか?と、どうして破局してしまったのか?について見ていきましょう。

①西郷隆盛の最初の妻:須賀(すが)

西郷隆盛の最初の妻は須賀という名前の女性です。

婚姻期間は1852年~1854年の2年間です。

結婚したとき西郷隆盛は24歳、須賀は20歳ということになりますね。

大河ドラマでは橋本愛さんが演じている最初の妻である須賀は、名門豪族生まれの薩摩セレブでした。


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須賀との結婚生活と破局

名門である伊集院家出身の須賀からみて、西郷隆盛は下級の武士の家ということになります。

この時期の西郷隆盛は武士ではありますが、非常に低い階級です。

当然収入は少なく、兄弟の多かった西郷隆盛家は非常に貧窮してしまいます。

さらに悪いことに、須賀との結婚の直後に西郷隆盛の父親、母親が連続して亡くなるという不幸も起きてしまいます。

ペリーが2人の仲を裂いた?

しかも、この直後にはペリーの浦賀来航がありました(1853年ですから、ちょうど二人の婚姻期間と重なりますね)

この事件によって危機感を持った藩主の島津斉彬に、西郷隆盛は側近に抜擢されます。

島津斉彬は江戸を舞台に活動を始めますから、側近である西郷隆盛も江戸での活動期に入ります(主に諜報活動)

取り残された形の須賀は、結婚の実態がない状態だと家同士で話し合われ、2年という短い期間で最初の結婚生活は終わってしまうのです。


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②西郷隆盛の2番目の妻:愛加那(愛加那)

大河ドラマでは二階堂ふみさんが演じる愛加那は、西郷隆盛が奄美大島に蟄居になった折に知り合った女性です。

婚姻期間は1859年~1862年の3年間です

西郷隆盛は31歳、愛加那25歳のカップルということになります。

当時の女性は15歳~16歳が結婚適齢期ですから、愛加那はかなりの晩婚ですね。

2人を近づけた島妻制度とは

当時、薩摩藩には「島妻制度」というものがあり、流刑などになった人(男性)がその流刑先に限定して結婚生活を送ることが許可されていました。

しかも当時の西郷隆盛は体の良い「罪人」ですから、罪人の妻になる女性も、嫁にやる家族もなかなかの変わり者…といえるかもしれませんね。

二人は仲むつまじく幸せな結婚生活を送り、一男一女の子供にもめぐまれました。


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島妻制度に始まり、島妻制度により終わった結婚生活

その後、西郷隆盛は許されて薩摩本土に復帰することになります(西郷隆盛の本格的な活躍が始まる時期です)

しかし、愛加那はあくまでも「島妻」として結婚することが許された女性ですから、一緒に薩摩に戻ることが許されませんでした。

「島妻」という薩摩藩の掟が、夫婦および父子の仲を引き裂いたのです。

愛加那 は薩摩に帰る西郷隆盛を泣く泣く見送り、その後はたったの一回、数日しか再会することは叶いませんでした。

③西郷隆盛の3番目の妻:糸子(いと)

西郷隆盛の最期まで添い遂げた3番目の妻が、糸子(岩山糸子)です。

大河ドラマ「西郷どん」では第1回から黒木華さんがキャストで登場していますね。

2人の婚姻期間は1865年~西郷の死(1877年)までですから、およそ12年間ということになります。

年齢でいうと西郷隆盛は37歳、糸子は22歳です(なお、糸子は再婚です)


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実際は「幼馴染」ではない可能性大

大河ドラマでは幼馴染という設定になっていますが、実際には2人は15歳~16歳も年が離れています。

結婚のきっかけは、糸子が西郷隆盛に一目惚れをしたのが発端とのことです。

いとの想いを知った有川矢九郎が手引きをして、無理やり結婚させてしまったという逸話があります。

引き合わせてすぐ結婚させるのも早業ですが、本当に結婚しちゃう二人もすごいですね。

ラブラブすぎる西郷隆盛と糸子の結婚生活

二人の結婚生活は絵に描いたようなラブラブだったようです。

あまり女性を褒めないと言われている九州男子の西郷隆盛が、糸子については手放しで褒めている会話が残されています。

対する糸子も、周囲に「あの人は役者のように格好良い」と、いつものろけていたそうです。

維新のために忙しく働いている西郷隆盛の代わりに家を守ります。

西郷隆盛との間には3人の子供が生まれています。

それに加えて、西郷隆盛の2番目の妻である愛加那との間に生まれた子供2人を引き取り、自身の子供と一緒に育てるということもしているのです。

糸子は女性として非常に度量が大きい人だったのでしょうね。

西郷隆盛は後に西南戦争で明治新政府に対して反乱を起こすことになります。

西郷は敗れますから「逆賊」の汚名を着せられてしまいますが、糸子は西郷の死後も、生涯西郷隆盛を愛し続けたと言われています。


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西郷隆盛と篤姫の関係は?

西郷隆盛と篤姫(天璋院)って恋人どうしだったの?

史実から「若いころそうだったのかも…?」というふしはあるけど、実際は可能性低いかも。

 

大河ドラマでは、篤姫(キャスト=北川景子さん)が西郷隆盛に恋心を抱いていたという描写があります。

史実としてはかなり疑わしいのですが、よくよく年代を追っていくと、「可能性はかなり低いけど、ひょっとしたらそういう関係があったのかも…?」という部分は確かにあるんですよね。

以下ではそのあたりの根拠(篤姫と西郷隆盛の関係)を見ていきたいと思います。

西郷隆盛と篤姫に恋愛関係があったとされる理由

篤姫は、1856年(篤姫20歳の時)に徳川13代将軍の徳川家定に嫁いでいます。

この直前に、西郷隆盛はちょうど最初の妻である須賀と別れているんです。

西郷隆盛は20代の独身で、篤姫も18歳~19歳であった時期ですね。

篤姫はその後、薩摩藩主島津斉彬の養女となり、徳川13代将軍の家定に嫁ぐことになります。

家定は江戸にいますから、当然、篤姫は薩摩(鹿児島県)から江戸(東京都)まで移動する必要があります(当時は1か月近くかかる旅です)

そして、この時期(1854年)に西郷隆盛も島津斉彬に抜擢されて江戸詰めということになっているのです。

篤姫が江戸で徳川家定と結婚したのが1856年ですから、この直前に江戸で藩主島津斉彬の側近として活動していた西郷隆盛と何らかの面識があったことは考えられます。

慣れない江戸で寂しい思いをしている篤姫(婚姻直前)に、西郷隆盛が話し相手として近づいて…ということがあったとかなかったとか…。

というのが2人の恋愛関係のウワサの根拠というわけですね。


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恋愛関係の可能性は…?

ただ、姫君(篤姫)と下流武士(西郷隆盛)という身分の違いもあり、たとえ交流はあったにしても、恋愛感情が芽生えるとは考えにくいでしょう。

もちろん、島津斉彬に抜擢されて活躍している西郷隆盛を、篤姫が家臣として頼りにしていたということはあってもおかしくありません。

篤姫が徳川家定に嫁ぐという婚姻工作そのものに西郷隆盛がかかわったという可能性も大ですから、篤姫が身の回りのことを西郷隆盛になにかと相談していたという可能性もあるでしょう。

接点はあったものの、恋愛関係となっていたかどうかはかなり疑わしいというのが、史実に基づいて考えた場合の結論といえるかもしれませんね。

成長した2人が再度接点を持つ!江戸城無血開城

ただ、さらに後年になって2人(西郷隆盛と篤姫)に接点が生まれます。

篤姫が徳川家定に嫁いだ後、西郷隆盛は離島に流刑になったり、自殺未遂をしたりと波乱万丈の人生をたどります。

しかし、最終的には西郷隆盛は薩摩藩の実質的なリーダーとなり、さらには明治新政府軍の最高権力者として徳川家(篤姫が嫁いだ家)と戦うことになるのです。

そして、西郷隆盛が明治新政府軍を率いて江戸城を攻撃した際、篤姫と島津家(実質的なリーダーは西郷隆盛)との間に「江戸の攻撃は避けてほしい」という旨の手紙のやりとりがひんぱんに行われています。


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西郷隆盛と篤姫の過去の恋愛関係が江戸を救った?

この点が「過去に恋愛関係があったのでは?」という脚色がされる根拠ですね。

篤姫が過去の恋愛関係をつてに、西郷隆盛に徳川家の助命嘆願をしたのではないか?という説があるわけです。

もっとも、西郷は江戸攻撃時には明治新政府のリーダーのような立場になっていますが、もともとは島津藩の下級武士です。

過去にさかのぼればさかのぼるほど、お姫様である篤姫と下級武士西郷隆盛とは身分が離れた存在です。

2人になんらかの関係があったのでは?と勘繰るのは歴史ファンとしては楽しいところですが、実際にそういう関係があったかというと非常に可能性は低いと言わざるを得ないですね。

西郷隆盛はモテた?イケメンだったの?

西郷隆盛,イケメン
(西郷隆盛がイケメン…?)

実物の西郷隆盛がイケメンだったかどうかは、本当のところ誰にもわかりません。

西郷隆盛は生涯写真を撮ったことがないので、実際の顔が残されていないのです(教科書によく出てくる肖像画は、写真ではなく絵です)

※ただし、2018年にドイツで西郷隆盛の写真が見つかった!とニュースになっていますが、真偽のほどはわかりません。

肖像画や銅像は、西郷隆盛の親戚をモデルにして描かれたもので、実物とは異なっています。


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明治維新前後に最高権力者となった西郷隆盛

ただし、西郷隆盛はかなりの艶福家(えんぷくか:女性に強い男性)だったらしいことは数々の証言でわかっています。

さらに、明治維新直前は西郷隆盛は島津藩を率いるリーダー、明治維新後は唯一の陸軍大将として最高の権力を持つことになります。

権力を持つ強い男性のもとに女性がひきよせられるのはいつの世も同じですね。

「英雄色を好む」の例えにもあるとおり、見た目はどうあれ、江戸城の無血開城を成しえたパワーと迫力に、多くの女性が惹きつけられたのかもしれないですね。

まとめ

今回は、西郷隆盛が生涯に結婚した3人の女性、そして恋愛関係がうわさされる篤姫について紹介させていただきました。

西郷隆盛の女性関係について驚くのは、嫌いになって別れたという人がいないことです(1人目の須賀はちょっと微妙ですが…)

薩摩の芸者衆の間でも人気が高かったという説が定説です。

実は西郷隆盛は大河ドラマキャストの鈴木亮平さんくらいイケメンで、セクシーだったのかもしれないですね。


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