「国体護持」って簡単にいうとどういう意味?右翼的な何か?

簡単に言うと国体=「天皇がいる社会」ってこと。
太平洋戦争で負けたときはかなり危なかった。

 

あなたは「国体護持」という言葉を聞いてどんなことを思いうかべますか?

「太平洋戦争中のスローガンとして使われていた軍国主義みたいな言葉かな…」というイメージをお持ちの方も多いかもしれません。

実は、国体護持というのは日本という国の社会のあり方そのものを表す言葉でもあるのです。

今回は「国体護持」という言葉の意味について、できる限り簡単にわかりやすく説明させていただきます。


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国体護持とはわかりやすく言うと何?

国体護持とは
(国体護持=天皇がいる社会を守ること)

「国体を護持する」という言い方をした場合、「今までの国のあり方を変えずに守る」という意味になります。

日本の場合、「従来の日本の国のあり方」というのはわかりやすくいうと「天皇制」ですね。

日本には歴史が始まって以来ずーっと天皇がいますから、天皇制という国のあり方が「国体」そのものといえるわけです。

よその国について考えてみるとよりイメージがしやすいかもしれません。

例えば、アメリカであれば「国体」といえばそれは「選挙で大統領を選ぶ共和制」という意味になるでしょう。

中国であれば「国体」といえば「共産党のトップが政治を全面的にコントロールする仕組み」ということになるかもしれません。


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国体護持はいつ問題となった?

国体護持という言葉がさかんに使われるようになったのは太平洋戦争での敗戦前後です。

この時期にはアメリカ(連合国)から「無条件降伏をしろ。そして今後は国のあり方をがらっと変えろ」という要求がされていたのです。

上でも説明させていただいた通り、「国のあり方」というのは日本の場合は「天皇制」です。

なので、「国のあり方を変えろ」というのは簡単に言うと「天皇を処刑するなり追放するなりして、アメリカのような共和制の国に変えろ」という意味になります。

実際、当時のアメリカにはこういう主張をする人がとても多かったのです。

日本人にとって「天皇のいない社会」は考えにくい?

今も昔も日本人にとって「天皇がいない社会」というのはどうもしっくりとこないのではないでしょうか。

現在の日本国憲法では何よりもまず(つまり1条から)天皇についてのルールを決めていますし、皇室に所属する人が亡くなったり、結婚したりすると全国的なニュースになりますよね。

天皇陛下が災害の被災地に行って被災者を励ましている姿を見るとなんとなく「ほっ」とするという人がほとんどだと思います。

内閣総理大臣が被災地に行ってもなんとなく「早く何とかしろよ」という気持ちですが、天皇陛下が行くと「ありがたい」と心から感じるのは、なんだか不思議ですが日本人共通の気持ちですよね。

昔の人は今よりももっと天皇というものを尊敬していましたから、アメリカのこのような主張は絶対に受け入れられない!ということで「国体を護持せよ」(天皇を中心とした社会の形を守れ)ということが盛んにいわれたわけです。

天皇中心主義の考え方はいつできた?

では、そもそもこういう「天皇が日本人全体の中心である」という日本の国のあり方はいつからでてきたのでしょうか。

おとなりの中国では何度も王朝が滅びて入れ替わっていますが、日本では天皇制が大和朝廷からずっと続いています。

その時々で天皇がどのぐらいの権力を持ったか?については大きな差がありましたが、いつの時代も天皇というものの存在は認めてきたのが日本の歴史です。

王朝が入れ替わるということは、例えば今の天皇陛下をやっつけて、別の人が天皇になる!と言い出すような状況をいいます。


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「天皇をなくしてしまおう」という主張

日本では「実際に権力を持っている人」はどんどん入れ替わりましたが、「天皇をなくしてしまおう」ということだけは有史以来ずっといわれずにきました。

(そういうことを言う人はいましたが、結局支持されませんでした)

現在でもそうです。

今の憲法では天皇は「象徴天皇制」といわれますが、そのこと自体、「日本という国は天皇を中心にしてまとまる社会である」と述べているものと解釈することもできるのです。

(「象徴=シンボル」である、ということは、少なくとも「これを我々全員がその存在を認めるものとする」ということでもあります)

つまり、日本の国体はずーっと変わらずに(少なくとも1500年以上は)続いてきているということになるのです。

国体護持とは「日本人にとって自然な社会」を守る事

「国体護持」というと何だか大げさなようですが、よりわかりやすくいえば「天皇がいるというごく自然な国の状態を変えたくない」という自然な主張といえるでしょう。

アメリカにはアメリカの国体(大統領制)があり、中国には中国の国体(共産党による政治)があり、韓国には韓国の国体(大統領制)があります。

同じように、日本にも天皇制という国体があるというわけです。

それぞれの国の国体は、それぞれの国の国民が決めたいように決めるべきものです。

他の国の人から「国体を変えろ」といわれることが、どれだけおかしなことかお分かりいただけると思います。

逆に言うと、将来的に日本人が「天皇制はもういらない」ということになれば、自主的に国体(=天皇制)を変更するということはあり得るでしょう。


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国民主権なのに国体が天皇中心主義でいいの?

日本は国民主権の国なんだから、天皇中心主義の国体っておかしくない?

いろいろ意見はあるけど、とりあえず国民主権と天皇中心主義は矛盾するものではないよね。

 

それでは、日本の国体が現在の天皇中心主義の社会でもいいのか?について考えてみましょう。

第一にあがる疑問としては「日本は国民主権なんだから、天皇中心主義の国体なんておかしくない?」というものがあると思います。

結論から言うと、国民主権という国のあり方と、天皇中心主義は矛盾するものではありません。

誰が権力を持つか?という問題と、天皇中心の社会を認めるか?という問題はまったく別の問題だからです。

「誰が権力を持つか」と「天皇制を認めるか」は別

日本では、昔から「誰が権力を持つか?」についてはいろんな人(勢力)が入れ代わり立ち代わりしてきました。

鎌倉時代には源頼朝が権力を持ちましたし、江戸時代には徳川家康が権力を持ちました。

同じように、太平洋戦争が終わってからは国民が選挙で選んだ代表者が権力を持つ、という仕組みが確立されています。

この間、どうでしょう?ずっと天皇は存在していますよね。

誰が権力者であっても、天皇を認めるという社会のあり方(天皇中心主義)は採用し続けることができるわけです。

源頼朝主権だろうが、徳川家康主権だろうが、国民主権だろうが、日本では天皇は社会の中心に居続けてきました。

「国民主権だから天皇中心主義はおかしい」という主張がなんだかちぐはぐであることがご理解いただけると思います。

つまり、日本では「天皇という象徴的な存在のもとに、国民が日本人としてのゆるやかな連帯意識(家族意識といっても良いかもしれません)を持つ」というかたちは、昔からずっと変わっていない国の形なのです。

昔からずっと変わっていない国の形…これはすなわち「国体」ということですよね。

天皇が政治や軍事を握ってすべてを動かす…というのはかなり昔の時代(鎌倉時代前後)で終わり、それ以降はずっと天皇は権力は持たず、国民全体からは象徴的な存在として敬われてきました。


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戦前はどうだったの?

今の憲法では「天皇は日本の象徴」であると定められていますが、戦前の大日本帝国憲法では「国の主権者」であると定められていました。

これを「天皇主権」というような言い方をすることがあり、この言い方をしたときには「国民主権」は同時に成り立たないことになります。

だれが権力を持つか?という問題で、天皇が持つか、国民が持つか、ということがまっこうからぶつかるからです。

ですから、戦前は国民主権だったか?というと、「それは違う」ということになります。

一方で、戦前が天皇中心主義であったことに異論がある人はいないでしょう。

戦前も天皇中心主義で、戦後も天皇中心主義ですから、国体に変更はないことになります。

ただし、太平洋戦争に負けてアメリカの占領を受けたことで「誰が権力を持つか?」については大きな変更が行われることになったというわけです(天皇主権→国民主権)

戦前は天皇主権。でも実質的に天皇に権力はなかった

ただし、戦前の「天皇主権」であっても、その実態については、実は今も昔もさほど変わりはなかったといえます。

確かに、戦前の大日本国憲法では、天皇は「国の主権者」ということに言葉上はなっていました。

しかし、その実態はというと、政治については内閣の言うとおりにしか動くことができず、軍事については陸軍と海軍の言うとおりにしか動けない存在だったのです。

これは、現在の国民主権の天皇のあり方とそれほど変わらないということを理解する必要があります。

少なくとも大正時代以降は、戦前であっても選挙で国民の代表を選び、その中から内閣総理大臣を選ぶという形が機能していたわけですから、戦前も限定された形で国民主権が実質的に始まっていたといえるのです。

ただし、昭和も中期以降になり、軍隊の力が強くなってくると、国民に選挙でえらばれていない軍の有力者が内閣総理大臣になる、という形が継続するようになってきます。

このときには国民主権は大きく後退していた、ということができるでしょう。

天皇があえて権力を握ろうとしなかった理由

上で、戦前の天皇は「政治については内閣の言うとおりにしか動くことができず、軍事については陸軍と海軍の言うとおりにしか動けない存在だった」という説明をさせていただきました。

実質はこのような形でしたが、形式上(憲法の文言上)は「天皇が国の主権者」ということになっているわけですから、権力を握ろう!という強い気持ちを天皇が持てば、それは可能だったかもしれません。

普通なら権力を握れば好きなように国を動かすことができるのですから、だれでもそうしようと思いますよね。

しかし、天皇やその周辺の人たちはそういうことをしませんでした。

なぜならば、天皇が政治に関わって失敗したら、それは天皇の責任になってしまうからです。

なんだか「責任逃れ」のようでずるいと感じる方もおられるかもしれませんが、天皇は有史以来ずーっと続いてきた「天皇制」という仕組みそのものがなくなってしまうことは避けなければならないと常に考えていたものと思われます。

もし天皇制がなくなるようなことになったら、「日本人がばらばらになってしまう」ということを恐れていたのです。

ですので、昭和天皇も太平洋戦争開戦に対し、「反対である」という姿勢を見せつつも、強固に突っぱねることはしませんでした。


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イギリス王室流の「君臨すれども統治せず」の実践

大日本帝国憲法の下で、天皇は「君臨すれども統治せず」というイギリスの王室のやり方を真似ていたとされます。

大日本帝国憲法下では天皇は国の主権者のような扱いになっていますが、実際の運用では内閣の支持なしには何もできない仕組みになっていましたし、天皇自身もその在り方をあえて受け入れていました。

鎌倉時代から江戸時代まで武士の時代が続きましたが、天皇はずっと残ることができたのは、このような天皇の在り方が大きく影響しています。

天皇は「権威(国の統治権の正当性の根拠)」だけをもって「権力(実際に政治を行ったり、軍隊を動かしたりする力)」を持とうとしなかったからです(これが「君臨せずとも統治せず」ということです)

「国体」思想の歴史

有史以来、実態として日本は「天皇がいる」という国体を取り続けてきたわけですが、昔の日本人が必ずしもそのことを強く意識していたかどうかは別の問題です。

戦国時代などには天皇は忘れ去られたような存在になっていて、天皇の住まいもボロボロの状態になったこともありました。

日本という国が「天皇中心」の国ではないかという考え方が強く表にでてきたのは、江戸時代末期(幕末)でした。

幕末にはいろんな欧米の国(特にアメリカ)から外国人がやってきて、日本を植民地にしようとプレッシャーをかけてきます。

植民地にされてしまったら、日本人は外国人から奴隷のような扱いをされる可能性が大でした(実際、当時の中国の一部やインドといった国は植民地にされ、現地の人が欧米人に奴隷のようにこき使われていました)

日本という国を一つにまとめる中心となった天皇

外国人に国を植民地にされず、国民を奴隷にされないようにするためには、軍隊を持った強い国にならなくてはなりませんでした。

そのためにはまず、日本人みんなが「自分たちは同じ国民で、外から来ている人たちは別の国民だ」という意識を持つ必要がありました。

つまり、「日本」という国をひとつにまとめる必要があったのです。

当時は江戸幕府という一番強い権力者がいましたが、江戸幕府は関東地方と大阪や京都など大きな都市だけを握っているだけで、その他の地方についてはそれぞれの殿様が別々に支配していました。

例えば現在の山口県は長州藩、鹿児島県は薩摩藩、といったように、別々の国のような形だったのです。

別々の国のようになっていた人々の精神的象徴、精神的な中心として選ばれたのが「天皇」だったのです。

江戸時代の末期を幕末といいますが、この時代に長州藩と薩摩藩が連合を組み、さらにその上に天皇をいただくことで日本全国の地方を1つにしていきました。

最終的に江戸幕府も天皇の下に入る、という形で吸収されることになります。


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太平洋戦争と国体護持

太平洋戦争末期、日本が戦う目的は「国体護持」となっていきます。

それは敗戦が濃厚となる中、アメリカを中心とする連合国が「天皇制」を解体してしまう恐れがあったからです。

太平洋戦争で日本が戦った目的は他にもありましたが、最終的に追い詰められた日本は最後の目標を「国体護持」として戦っていくのです。

太平洋戦争でなぜ国体護持がスローガンになった?

太平洋戦争の原因、日本が戦った目的には、今でもいろいろな説があります。

そしてそれは、現在のいろいろな政治的な立場、考え方と結びつきただの「歴史」として扱われるのが難しい分野です。

それでも最近はかなり研究が進んできました。以下では一つの考え方を紹介しましょう。

そもそも、大日本帝国は「食べられない国民」が多かったのです。

その食べられない国民を食べられるようにするため、普通の生活ができるようにするため、日本は対外拡大政策を取っていったという説があります。

満州事変、2.26事件、日本を戦争に向かわせていくターニングポイントとなった歴史的事件の原因に「食べられない国民」の存在があったのは事実でしょう。

つまり、太平洋戦争も最初のうちは「国体護持」のための戦いではなく「食べるため」の戦いでした。

しかし、日本の敗戦が濃厚になってくると「国の解体」は絶対に避けようとする勢力が浮上します。

日本の「国体護持」になったのは、「日本という国が日本であるため」には、天皇制が必須であり、精神的支柱であると考える人が多かったということです。


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太平洋戦争敗戦後も「国体」は護持されたの?

太平洋戦争は日本の敗戦で終わります。ポツダム宣言を受諾したのも、天皇制に関し連合国(主にアメリカ)が、日本国民の意志によってそれが選択されるならば、それを尊重するとしたからでしょう。

ただ、万が一に備え、天皇制を維持するための工作部隊なども準備されていたようです。

結果、日本国憲法でも天皇は「象徴」となりました。

昭和天皇の時代「現人神」と呼ばれた戦前よりも、戦後のある時期の方が天皇は人間を離れ、神に近くなったのではないかという意見もあります。

敗戦した日本に対する連合国の、日本改造において、日本の改革を目指していた革新官僚との間の違いは「戦争放棄」と「財閥解体」くらいでした。

「農地解放」などは、日本の官僚にとっても渡りに船という話だったのです。「国民が食えない国家」の根本的な問題がそこにあったからです。

そして、精神的な支柱である天皇制は維持されました。太平洋戦争に負けても日本の国体は維持されたのです。

まとめ

「国体護持」というと、歴史用語というより、イデオロギー色の強い言葉のように感じてしまうかもしれません。

しかし、歴史の流れの中でこの言葉をとらえなおした時、そこには違う印象が生まれるのではないでしょうか。

日本は今も昔も天皇がいる社会を継続してきており、その意味で「国体」は有史以来ずっと護持され続けているといえます。


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