榊原康政の子孫ってあんまり有名じゃないよね…。

実は意外に優秀な人物ぞろい。

 

徳川家康の天下統一を助けたのが徳川四天王といえば、言うまでもなく酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人ですよね。

このうち、本多忠勝の子孫(本多忠政や本多忠刻)や井伊直政の子孫(幕末の井伊直弼など)は比較的有名ですが、榊原康政の子孫についてはあんまり知らない…という方も多いのではないでしょうか。

ここでは榊原康政の子孫の功績について調べてみましたので参考にしてみてくださいね。


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榊原康政の子孫は功績を残した優秀な人物ぞろい!

榊原康政の子孫
(榊原康政の子孫、榊原忠次は姫路城主にもなっている)

榊原康政自身は、関ケ原の合戦後に所領である館林に引退し、彼の死後は三男の康勝が継ぎます。

しかし、この康勝は大坂夏の陣が終わった後にわずか26歳で死んでしまいます(後継ぎなし)

後継ぎなしの大名家は取り潰されるのが当時の常識ですから、榊原家も断絶の危機に合うものの、藩祖の榊原康政の功績に配慮して特例的に康政の孫(長男の子:忠次)が3代目として継ぐことを認められます。

この3代目の榊原忠次がなかなか優秀な人物でした。

3代当主の榊原忠次:姫路藩の土木工事と新田開発

榊原家3代当主の榊原忠次は内政を得意とした人物です。

河川の流路改変工事や土木工事、農地拡張のための新田開発などを積極的に行い、後に移転した先の姫路藩内で農業生産を拡大させています。

さらに、榊原忠次は4代将軍徳川家綱の傅役(もりやく:家庭教師)も務めた人物です。

とても頭の良い人だったようで、新田開発などを進めるかたわら和歌や百人一首を楽しむなど、風流な一面もあったようです。


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8代当主の榊原政岑:越後高田藩の財政を再建

江戸時代中期の人物になりますが、榊原家8代当主榊原政岑(まさみね)も個性的な性格で、しかも優秀な実績を残した人物です。

彼は末期養子(まつごようし:意味は後述)として榊原8代当主になります。

党首になったばかりのころは、当時の将軍であった徳川吉宗の倹約令に逆らうように派手な遊びを続け、一夜の宴会で3000両も使ってしまうような、問題の多い人物でした。

この行いを反省させるべく越後高田藩に転封されるわけですが、この処罰で心を入れ替えた政岑は、高田藩の財政問題に真剣に取り組み功績をあげたのでした。

彼は越後高田藩に転封された際、借金まみれの藩の財政を再建するべく、倹約や農業拡大のための灌漑工事を行い民衆に慕われたと言われています。

 

末期養子(まつごようし)とは?

藩主が跡継ぎを決めないまま急死してしまった場合などに、「実は生前に養子をもらっていた」ということにして藩が改易されるのを助ける制度です。

江戸幕府初期はあまりに簡単に藩を改易していったので、職を失った武士が浪人として街にあふれ治安の悪化などを引き起こしていたため、それを改善するためのものとされています。

 


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本多忠勝や井伊直政の子孫と比較すると?

榊原康政の子孫って、本多忠勝の子孫や井伊直政の子孫と比較するとどう?

有名さでは彼らに負けるけど、実績的には遜色(そんしょく)ない感じ。

 

以下では榊原康政と本多忠勝、井伊直政の子孫の比較をしてみたいと思います。

榊原家は初代の榊原康政の功績により館林藩10万石を得て、のちに姫路藩15万石と加増されたのをはじめとして、大藩の領地の数々を所領としています。

最終的には越後高田藩15万石となり明治維新まで存続しています。

ちなみに現在の榊原家の当主は榊原政信さんといい、会社経営をされているようです。

本多忠勝・井伊直政の子孫について

本多忠勝の本多家は忠勝の孫の代で徳川秀忠の長女千姫を妻に迎えて徳川家との結びつきを強くしますが、全国各地への転封が多く、そこまで栄えたとは言い難いですが、それでも平成の現代まで血筋は続いています。

井伊直政の井伊家は彦根藩の藩主を続けながら、幕府の要職である大老を輩出する家柄として権力に近い位置で活躍。

その流れで明治維新後は伯爵家として華族に列せられるなど子孫は華やかな歴史を歩んでゆくのです。

以下ではそれぞれの子孫で有名な人たちについてのエピソードを見ておきましょう。


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本多忠勝の娘:真田家へ嫁いだ小松姫(稲姫)は有名

大河ドラマやゲームなどでも有名な小松姫(稲姫)は、父である本多忠勝同様のしっかりとした気性を持つ容姿端麗な女性だったようです。

その気性をよく表す話としてこんなエピソードがあります。

夫である真田信幸の代わりに沼田城の留守番をしていたときに、敵方となっていた夫の父真田昌幸が訪ねてきても決して門を開かず、「義父と言えども敵であっては迎え入れることはできません」とはっきりと宣告したということです。

井伊直政の子孫:幕末の大老井伊直弼

井伊直弼は幕末の動乱期に大老に就任し、日米修好通商条約を結ぶなど開国を進めた有能な政治家です。

非常に優れた人物で彦根藩の藩政改革を行ったりと多数の功績がありますが、開国に反対する国内勢力を粛清するなど強引なところもあり、その反動から最後は桜田門外にて暗殺されてしまいます。

まとめ

やはり徳川四天王と呼ばれるほどの武将たちの子孫ですから、どの人も優秀でしっかりとした功績を残していますね。

江戸初期~中期を中心に、名君といわれる優秀な大名を輩出し、さらには明治まで名家を存続させているのにはさすがと思わせられます。


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