明治天皇って途中ですり替えられたの?
トンデモ説といわれているけど、意外に「ありそうかも…」と思わせる物的証拠がたくさんある
明治天皇といえば、明治維新前後に即位し、日清戦争や日露戦争を戦った歴史的に重要な役割を持った天皇です。
しかし、この明治天皇ついては「ある時期に別人にすり替えられた」という明治天皇すり替え説があるのをご存知でしょうか。
当時も今も日本一の有名人である天皇陛下が入れ替わる…なんてトンデモ説じゃないの?と思われるかもしれませんね。
今回は、この明治天皇すり替え説について根拠や反対説についてくわしく見ていきましょう。
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明治天皇すり替え説とはどんな説?

(キヨッソーネが描いた明治天皇の肖像画:wikipediaより)
明治天皇はもともと睦人(むつひと)という名前で、お父さんの孝明天皇の後を継いで112代の天皇に即位しました。
即位の時点では正真正銘の皇族だったのですが、ある時点から別人にすり替えられたというのが「明治天皇すり替え説」です。
まずはいったいどんな説なのかについて説明させていただきます。
明治天皇すり替え説の始まり:田中光顕の証言

(明治天皇すり替え説の最初の証言者=田中光顕:wikipediaより)
昭和4年、田中光顕(みつあき)という人が「もう知っているのは私だけだから……」と語ったのが始まりでした。
その話によれば、「ある時点で明治天皇に即位した睦仁を毒殺し、別人にすり替えた」というのです。
田中光顕は11年間にわたって宮内大臣(天皇の私生活の補佐や、皇族の教育の責任者)を務めた人で、皇室内部の表も裏も知り尽くした人といえます。
そんな人が「天皇すり替え」なんて話を何の根拠もなくいうことはちょっと考えられないですよね。
この話を聞いた人が明治天皇すり替え説についての本を書き、一般にもウワサとして広まったのです。
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明治天皇は大室寅之祐にすり替えられた?
では、誰が明治天皇にすり替えられたのでしょうか。
上の証言の中で、田中光顕は「すり替え後の明治天皇は大室寅之祐(おおむろとらのすけ)という人物である」とはっきり言っています。
この大室寅之祐という人は南朝の血筋といわれています。
北朝、南朝というと「なんで室町時代の話?」と疑問に思われるかもしれませんが、日本の皇室はこの問題を近現代までずっと引きずっているのです。
天皇家でくすぶり続ける北朝と南朝の問題
室町時代に後醍醐天皇が足利幕府と対立したことにより、天皇家は北朝(京都平安京)と南朝(奈良吉野)に分裂しました。
その後南北が合体して元に戻るのですが、主導は北朝が握り続け、南朝は格下に置かれたまま江戸時代に滅亡したと考えられてきました。
ところが、実は南朝の決闘は滅んでおらず、その血筋が大室寅之祐だったというのです。
南朝の勢力とすれば、「自分たち南朝こそが正当な日本の天皇家だ」と考えていますから、いつかは復権したいと考えていたはずです。
その南朝が明治維新前後のドサクサで密かに天皇をすり替え、政権を取り戻したと主張しているわけです。
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明治天皇をすり替えたのは長州藩?
明治天皇にすり替わったとされる大室寅之祐は、睦仁(本物の明治天皇)より2歳年上で、年齢的な要件で見ると共通しています。
もちろん、この大室寅之祐が一人ですり替わりをたくらみ、実現したというようなことは考えにくいです。
明治天皇すり替え説の論者によると、大室寅之祐のバックにいたのが長州藩でした。
幕末に長州藩の精神的な指導者となった吉田松陰は「南朝正統論者」で、弟子の伊藤博文らもその影響を受けていたといわれます。
長州藩出身者にすれば、大室寅之祐を天皇にすることは「師である吉田松陰の悲願」であったというわけですね。
他藩の志士たちにとっても、平民だった大室寅之祐の方が本当の皇族よりも操りやすかったというような事情もあったのかもしれません。
明治天皇すり替え説の論拠と信憑性
それで結局、明治天皇すり替え説って本当なの?
簡単にトンデモ説!と言い切れない根拠もあるんだよね…。
普通の感覚でいえば、「天皇をすり替えるなんてとても信じられない!」ですよね。
上のような明治天皇すり替え説はドラマとしては面白いですが、根拠がなければただのトンデモ説といわざるをえません。
しかし、睦仁と明治天皇が同一人物と思えない証拠が多いのも事実なのです。
ここからは明治天皇すり替え説の具体的な根拠について見ていきましょう。
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明治天皇は即位前後でキャラが変わっている

(壮年期の明治天皇の肖像画:wikipediaより)
実は明治天皇が即位した頃から、天皇に近しい人が「即位前とは別人みたい」と述べている証言があります。
記録によると、睦仁は内向的で、馬に乗るのも大嫌いな運動音痴でした。
さらに右利きで、字は下手だったといいます。
ところが即位した後の明治天皇(大室寅之祐?)はスポーツマンで、乗馬と相撲が大好き。
左利きで、字が上手かったようなのです。
さらに、明治維新直後の写真と、壮年期の明治天皇の写真を比べてもあまり似ていない…というような気もします。

(戊辰戦争中の写真:ど真ん中の背の低い人物がすり替え前の睦人?:wikipediaより)
明治天皇は尊敬されていなかった!
その他にも、明治政府の役人たちが天皇を見下していたような逸話も残っています。
西郷隆盛はわがままを言う明治天皇を、「昔の身分に戻しますぞ」と叱っています。
明治天皇が元は平民だったようなセリフではありませんか。
西郷従道(西郷隆盛の弟)は天皇の命令を無視して台湾へ出兵するようなこともしていますし、伊藤博文も明治天皇の前で失礼にも座ったままだったそうです。
山岡鉄舟などは相撲で明治天皇を張り倒したといいます。
これらの逸話を見ても、どうやら明治天皇はまわりの側近からあまり尊敬されていなかったようなのです。
この点も、天皇が実は平民の大室寅之祐とみんな知っていたとすれば筋が通ります。
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明治天皇すり替え説はトンデモ説?反論の論拠
ここまでは明治天皇すり替え説を肯定する根拠についてみてきましたが、「明治天皇すり替え説なんて嘘だ」という反論ももちろんあります。
いくら情報がない時代でも、天皇のすり替えは危険すぎます。
もしばれたら、せっかくの明治政府は正当性がまったくなくなり、ひっくり返るスキャンダルになるでしょう。
天皇が側近から軽んじられた理由?
天皇が側近からあまり尊敬されていなかった逸話についても、天皇家はもともと徳川幕府から権力を奪われて京都に閉じ込められていたわけです。
倒幕を実現した明治維新の功労者からすれば、「自分たちが権力の座に戻してあげたんだ」と考えていた部分もあったかもしれません。
そういった気持が事あるごとに言動に出てしまったと考えれば、つじつまが合うような気もします。
政府にとっても「万世一系」の方が都合が良いはず
天皇を利用した薩長にとっても、孝明天皇からちゃんと正当に続いてきている睦人を即位させ、天皇家の「万世一系」を建前上も実質上も保ったほうが都合が良いはずです。
明治天皇すり替え説をそのまま素直に信じることはやはり難しいですね。
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明治天皇すり替え説をについて紹介した本
今回紹介した明治天皇すり替え説について、もっとくわしく知りたい方は以下のような本を読まれるとよいです。
わかりやすいのは落合莞爾×斎藤充功著『明治天皇“すり替え”説の真相』だと思います。
明治天皇すり替え説の基本的な成り立ちから、大室寅之祐と長州藩の関係、すり替えの真偽などくわしく書かれています。
また、松重楊江著『二人で一人の明治天皇』も読みごたえがあります。
説の結論への持って生き方についてちょっと強引な部分もありますが、陰謀論が好き!という方は楽しめると思います。
まとめ
天皇家が正しく継承されてきた世界最古の皇室であるということは日本の誇りです。
そんな明治天皇が他人に入れ替わっていた!なんてちょっと怖いような話ですよね。
陰謀説やオカルトとしてとても面白い説ではありますが、説の根拠などをくわしくみていくと「ネタとして楽しむ」くらいでちょうどいいとような気もしますね。
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