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犬養毅「話せばわかる」の真相!なぜ五一五事件で問答無用で射殺?

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犬養毅が暗殺直前に「話せばわかる」と言って話そうとした内容ってどんなこと?

自身が疑われていた中国からのわいろについての釈明をしようとしたらしい。
ちなみに、犬養毅は演説と説得の名手といわれていた。

 

戦前の政党政治の「黄金時代」を築いた犬養毅は、海軍の青年将校によるクーデター(五・一五事件)により暗殺されてしまいました。

暗殺の直前、犬養毅は青年将校に向かって「話せばわかる」と語りかけたとわれています。

結果として青年将校は「問答無用」と射殺してしまうのですが、犬養毅は彼らに何を話したかったのでしょうか?

今回は、犬養毅の生前の言動や五・一五事件の事件調書の内容から、事件の実像にせまります。

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犬養毅「話せばわかる」で話そうとした内容

犬養毅,話せばわかる

(犬養毅「話せばわかる」何を話そうとした?:画像はwikipediaより)

犬養毅は、中国の有力者である張学良との関係を説明しようとしたという説があります。

(犬養毅の孫の犬養道子さんの説)

張学良は当時満州で力を持っていた中国人で、日本政府とも強いかかわりがあった人物です。

当時、青年将校達の間では「犬養毅が中国の張学良から賄賂を受け取っている」という批判がされており、この点について犬養毅は釈明しようとしたというのです。

犬養道子によると、犬養毅は明治時代から孫文や蔣介石など、中国の人々と交流があったのは事実のようです。

張学良は、関東軍に押収された父作霖の私財返還を依頼し、そのための活動費として犬養毅に資金を渡していたといいます。

犬養道子は、犬養毅はこれを青年将校たちが賄賂と誤解したと考えて、その点について説明しようとしたのではないかと述べています。


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五・一五事件の状況

1932年5月15日、海軍の青年将校を中心とする一団が首相官邸に乱入します。

この計画を首謀した人物は古賀清志海軍中尉で、彼らは当時の政治体制に不満を抱き、「昭和維新」の実現を目指していました。

昭和維新というのは当時の若手軍人が好んだ言葉で、天皇自らが実権を握って政治を行う体制をいいます(具体的な内容にはとぼしかったといわれます)

彼らは昭和維新実現のため、東京を混乱させて戒厳令を出させた後に軍主導の内閣を設立して国家改造を行うと考えていたのです。

この計画の下、彼らは首相官邸をはじめとして内大臣官邸や政友会本部、変電所などを襲撃することとなります。

結果的にいずれの襲撃も被害は限定的で、彼らの目指す昭和維新の実現は失敗に終わりました。

食堂で発見された犬養毅

首相官邸襲撃の様子は、のちに開かれた裁判の公判記録からうかがうことができます。

時事新報社の刊行した『五・一五事件陸海軍大公判記』によると、犬養毅を最初に発見したのは三上卓海軍中尉でした。

三上は食堂で犬養毅を見つけるとすぐに拳銃を撃とうとしましたが、弾丸が装てんされていなかったため撃つことができませんでした。


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「話せばわかる」と別の部屋へ移動

当時の裁判記録によると、犬養毅は三上中尉に対して次のように語りかけたといいます。

 

すると、首相は両手をあげ制止するように、「マアー待て、話をすれば分るだろう」と言い、自ら私の方に近よって来た。

その途中「話をすれば分かる」と1、2回言い「あっちへ行こう」と室外に出ようとした。

 

このような犬養毅の行動を三上も「悠々たる態度」と感じたと証言しています。

また、その口調も「私どもに一種の親しみを覚えさせるような言動」であったといいます。

「問答無用」と襲いかかった青年将校

別部屋に到着した犬養毅は、青年将校たちに対して「靴位脱いだらどうじゃ」と語りかけます。

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