西郷隆盛の身長体重ってどのぐらいあったの?

身長180cm・体重110kgというのが有力説。

 

西郷隆盛といえば、まず脳裏に思い浮かぶのが体格の良さです。

大河ドラマ「西郷どん」で西郷隆盛を演じている鈴木亮平さんはどちらかというと「がっしりした巨漢」ですよね。

今回は、実際の西郷隆盛はどのくらいの身長・体重だったのか?について史実をもとに検証していきましょう!

>>新しくドイツで発見された西郷隆盛の写真についてはこちら


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西郷隆盛は「身長=180cm・体重110kg」?

西郷隆盛の肖像,軍服
(軍服姿の西郷隆盛:wikipediaより)

西郷隆盛の身長と体重は、身長178~180cm程度、体重は100kgを超えていたというのが定説です。

それを裏付ける根拠としては、以下のような情報があります。

明治4年(1871年)、隆盛が土佐の豪商であった竹村家に宿泊した時の記録によると、身長は176~179cm、体重が97.5~101kgあったそうです。

これは当人たちの目視によるものですが、本人を実際近くで見た上で記録されたものです。

それほど実際のサイズからかけ離れたものではないでしょうね。

現代も残されている西郷隆盛の軍服

また、隆盛本人の軍服が一着、現代に残されています。

これは、明治6年(1873年)に実施された陸軍大演習の際、悪天候で汚れてしまったものが西郷家に伝わったものです。

そこから推定される隆盛の体格は、身長178~181cm・体重108~110kgです。

先程ご紹介した竹村家に伝わる記録と、およそ合致していますね。

このデータは、昭和12年(1937年)に建立された鹿児島の軍服姿の西郷像を制作する時に大いに参考にされました。


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西郷隆盛は肥満体?ダイエットしていた?

西郷隆盛ってダイエット頑張ってたの?

健康上やばいぐらいの肥満だったので、
お医者さんに怒られたりしてます。

 

体重というのは当然ながらそのときどきで変動があります。

多くの情報で残っている西郷隆盛の体重というのは、明治維新が成立した後です。

この時期の西郷隆盛というのは政府の最高権力者ですから、自分であちこちを走り回るというような必要はあまりなかったでしょうね(西南戦争のときは戦争中ですから別ですが)

ここまで紹介させていただいたいる「体重110kg」というのは、明治新政府で陸軍大将に就任したときの情報といわれています。




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しかし、西郷隆盛は若いころは下級武士として駆けずり回っていましたし、絶海の孤島に謹慎して厳しい生活をさせられた時期もありました。

若いうちには巨漢であってもやせ形であった可能性はありますね(このあたりのイメージが鈴木亮平さんなのかもしれませんね)

西郷隆盛の食生活

この体重の変動に関しては、隆盛の食生活について触れねばならないでしょう。

西郷隆盛の好物は「とんこつ」に代表される甘辛く調理された肉料理と、「くず餅」に代表される甘い和菓子。

いかにも太りそうなものが好物だったわけですね。

幼少期・青年時代と貧しい暮らしをしていた隆盛ですが、大出世を遂げ新政府の要職を務めた壮年期になると、それまでの反動で好きなものを思いっきり食べたのかもしれません。

それでいて仕事はデスクワーク中心となっていたので、メタボリックシンドロームまっしぐらです。


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医師からも肥満を治すように指示されていた

明治政府のお雇い外国人である、ドイツ人医師のホフマンから太り過ぎで不健康であるとの助言を受けています。

西郷隆盛がホフマンの世話になるのはいわゆる「征韓論」の前後ですから、ひょっとすると西郷は近い将来に朝鮮半島にわたることを想定していたのかもしれません。

ホフマンの助言を受けて、西郷隆盛はご飯や甘い物といった炭水化物を控えたり、積極的に愛犬を伴って狩りに出かけたりしたようです。

今で言う糖質制限ダイエットと、運動療法に取り組んでいたというわけですね。

下剤ダイエットまで…

その他、体重を落とすためにひまし油を下剤として服用していたそうです。

なんと現代でいうところの「下剤ダイエット」にも取り組んでいたわけですね。

こうした必死の努力が功を奏し、西郷隆盛の最期の戦いである「西南戦争」の頃には体重80kgまで痩せることに成功しています。

ようやく健康的になってきた時期に、自刃して果てることになったのは残念ですね。

もっとも、やがてくる戦争に向けて心身ともに準備をしていたという側面もあったのかもしれません。


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当時から巨漢のイメージだった西郷隆盛

隆盛は幼少時から「太身(うどみ)さあ」「うどさぁ」という、身体が大きいことを意味する愛称で呼ばれていたそうです。

隆盛の体格の良さは、小さい頃より周囲の人目を引くものだったことは間違いありません。

隆盛の祖父である龍右衛門も身長180cmの相当な体格だったそうですから、おそらく遺伝的な影響も強かったのでしょう。

まわりに迫力を与える外見だった西郷隆盛

また、隆盛の他のあだ名としては、大きな目をしていることを意味する「太眼(うどめ)どん」も有名ですね。

並外れて大きな体格の上、ぎょろっと大きな眼をしているとなれば、人に相当な圧迫感を与える外見だったと思われます。

それでいて西郷隆盛の人格は人を包み込むような包容力を持ったものでしたから、彼に付き従う人からするとまさに「巨人(いろんな意味で)」という感じだったのかもしれませんね。


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江戸時代の平均身長

江戸時代の平均身長ってどのぐらいだったの?

男性155cm・女性143cmが平均値というのが有力です。

 

江戸時代の平均身長ですが、男性で155~158cm、女性で143~146cm程度でした。

これは当時埋葬された人骨を調査したり、身分がある人の身長を測った記録を平均した結果、明らかになったことです。

また、江戸時代は史上最も日本人の身長が低い時代ということも、同様の調査方法から判明しています。

これは、動物性たんぱく質が不足気味だった、当時の食生活に起因しているそうです。

江戸時代の食生活

江戸時代は肉食は盛んではなく、動物性たんぱく質といえば魚。

その魚ですら、庶民や下級武士は月に数回食卓に上がれば良いほうでした。

清や琉球などの外国と交流していた薩摩藩は、比較的肉を食べる習慣が当時としてはあったほうですが、それでも庶民が十分な量の動物性たんぱく質を採っていたとは考えづらいです。

その中で西郷隆盛の178cmというのは、いかに人目を引く特徴だったのかがうかがえますね。


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番外編:西郷隆盛だけじゃない!高身長の幕末偉人

西郷隆盛以外に巨漢だった幕末偉人といえば?

坂本龍馬や大久保利通が有名ですね。

 

幕末に活躍した偉人の中には、当時としては相当な高身長として知られた人物も少なくありません。

中でもよく知られているのが坂本龍馬や大久保利通です。

それぞれ、くわしくご紹介していきましょう!

坂本龍馬の身長体重

京都国立博物館に所蔵されている龍馬の紋服のサイズから推測した本人の体格は、身長173cm・体重が80kgと堂々たるもの。

坂本龍馬は北辰一刀流という当時最高峰の剣術流派で目録(免許皆伝という説も)を得ているほどの腕前でした。

今でいうと剣道の日本選手権に出るような人物だったわけですから、相当な巨漢だったのでしょうね。

さすがに隆盛ほどではありませんが、私たちが想像する龍馬のイメージに近いかもしれません。

ちなみに龍馬の姉「乙女」も、身長175cm・体重100kg越えの女傑でした。

龍馬の身長が高かったのも、西郷隆盛のケースと同じで遺伝的な影響が強かったのかもしれませんね。


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大久保利通の身長体重

西郷隆盛の盟友:大久保利通ですが、身長は178~182cmもあったと言われています。

西郷隆盛と大久保利通が二人そろっている姿は、相当目立ったことでしょうね。

西郷隆盛が大の写真嫌いだったのとは対照的で、大久保利通には若い頃から写真が数多く残っていますから、そこから正確な身長が推測できるのです。

ちなみに、大久保利通の体重は65~70kgほどだったようです。

大久保利通は胃腸が弱く虚弱体質だったといわれていますから、体重はそれほどではなかったのでしょう。

なお、大久保利通の祖父は皆吉鳳徳という人物で、この人も体格のよい人物だったそうです。

やはり隆盛や龍馬と同じで、利通の場合も遺伝的な影響が大きいようです。

まとめ

西郷隆盛は人格的にはもちろん、外見上も人並外れて大きな人物でした。

どちらかというとコミカルな外見として描かれることが多い西郷隆盛ですが、実際に目の前にしたら圧倒されるような人だったのかもしれませんね。


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